神様に見捨てられた人生

新型コロナに感染して人生終わった

理不尽な人生をどう生きれば良いのか

気がついたら年が明けていた…

相変わらず病院へ通うための体力作りのみで、他に出来ることもほとんどなく、ただ生きているだけの毎日。

 

いったい私が何をしたというのだろうか?

 

物心がついた時にはもう家族仲が壊滅的に悪かった。

仲良く楽しく過ごせた思い出が少しくらいあってもいいものだが私にはそんなもの存在していない。

家の中に入るのが怖くて、外で飼っていた犬と暗くなるまでいつも遊んでいた。

 

5つ年上の姉は私が12月に生まれたせいで誕生日プレゼントがなくなったと言う理由で、人に迷惑をかけているのだから私の物は全て奪って当然という考え方の人間だった。

反抗すると殴り付けられるので泣いていると、うちの母は

 

『中途半端に殴ると泣いてうるさいから泣けなくなるまでちゃんと殴りなさい!』

 

と言って姉を叱った。

幼いながらに絶望したのをよく覚えている。

この時私は5歳くらいだったと思う。

私が誰かからぬいぐるみだかキーホルダーだか貰って嬉しくてずっと手でもっていたら、お前だけもらってズルい!と言って姉が取り上げたのだ。

 

それを姉が自分のランドセルの中に入れたのを見て、姉が見ていない隙を狙って取り戻そうとしたのだがランドセルがどうやったら開くのか解らず手間取っていた。

 

それを見つけた姉が烈火のごとく怒り、泥棒!と叫んでランドセルでそのまま私の頭をフルスイングで殴り付けた。

それで頭を切り、痛みで泣き叫んでいたら母がもっと殴れと姉に言ったという流れ。

 

改めて思い出すと本当に気が狂った家族だとしか思えないw🤣

 

呼吸困難になっている姿が面白いという理由で、みぞおちを蹴りあげられたり殴ったりして姉がドヤ顔で母や兄に披露していても皆笑うだけで誰も助けてくれなかった。

私が座る場所や歩く場所に画鋲を仕掛け、踏んでしまって痛がっている姿を見て姉は大喜びしていた。

うちの姉はガラスに突っ込ませるのも大好きで、足を引っ掻けてガラス戸に突っ込ませ割れたガラスの上でのたうち回る姿が姉のツボだった。

皮膚に食い込んだガラスを抜くのがとても痛かった。

泣いたらさらに殴られるので、泣かないように必死に唇を噛んで皮膚に入り込んだガラスをほじくっていた。

ガラス戸を割るとさすがに金がかかるので、姉も母に殴られていたが、姉が気が狂ったように暴れだすので、母はそれを察知すると兄を抱き上げて一目散に車で逃亡する。

もちろん残された姉は怒り狂い、疲れるまで私をサンドバックにする。

母は自分が被害に遭うのは嫌なのでいつもダッシュで逃げて、姉が疲れきった頃に帰ってくる。

母は血が嫌いだから、殴られた後は汚い!と言って私に見向きもしなかった。

見よう見まねでいつも手当てをしていたが、ちゃんと消毒出来なくて化膿してしまうこともあり、周りからも臭いと言ってよくからかわれた。

 

大人になって誤って怪我をした時に、一緒にいた友人が真っ青になって病院へ行こう!と言われて半ば強制的に連れて行かれたのだが、医者にこの傷は縫わないとと言われてさらに驚いた。

それくらいの傷は日常茶飯事だったので、これって縫うほどなの?!ととても驚いた。

18年もそんな狂った生活をしていた。

 

なんでこんな話を突然するのかと言うと、線維筋痛症の話がしたいからだ😃

 

線維筋痛症はなんと“過去の痛みを模倣する”。

 

線維筋痛症は脳が何らかの誤作動を起こしていて、痛くない健康体なはずなのに何故か痛みが発生するという厄介な病気。

 

そしてこの過去の痛みを模倣するという特性のせいで、私は虐待の記憶を嫌というほど思い出させられ、気が狂いそうなほどの憎悪が湧いた。

 

姉があんな事をしなければ今のこの症状はなかったのかもしれないと思うと、憎くて憎くてたまらなくなる。

 

それだけの傷を負って周りは何も言わないのかと疑問に思う人もいるだろう。

 

何も言わないどころか姉や母の言い分をまるっと信じ、私を侮辱しても良い対象として見ていました。

私が小学1年の時に姉は6年生だった。

姉は外面がとんでもなく良く人気者。

 

自分からガラスに突っ込んだ。

バカだからすぐ怪我をする。

構ってもらいたくてすぐ嘘を吐くから困っている。

 

という姉の話を何も疑問を持たずにみんな信じていた。

母もそれを後押ししていたのもあるが、何より田舎の同調圧力は凄い!

人気者がそう言ったならそれが真実なのだw

なんと私は小学1年で全校生徒から虐められるという物凄い経験をした🤣

全校生徒と言っても50人以下のクソ田舎。

ろくに娯楽もなく、みんな虐めをするのが唯一の楽しみのようだった。

 

思い出したくもないのに、線維筋痛症の“模倣”のせいでずっと過去の記憶に取り憑かれている。

 

ドラマや小説なら私が最後には幸せになって、姉は酷い仕打ちを受けるのだろうけど現実はそうはならない。

 

現在姉は自分で始めた事業が成功し、豪邸を建てて息子と犬二匹を飼い勝ち組の生活をしている。

もちろん健康体。

 

私は慎ましい生活だとしても犬と一緒に生きていけるなら何もいらなかった。

でもそれも健康だからこそ出来たこと。

一日中寝ているだけで、スマホで毎日元婚約者のところに置いてきた愛犬を眺め、画面を撫で回し頬擦りやキスをして自分を慰めている。

 

『あんたみたいな不良品産まなきゃ良かった。どうせバカで何も出来ないから将来は風俗嬢か生活保護だ!』

 

と口癖のように母がよく言っていたことを思い出す。

 

そして実際母の言う通り生活保護のような暮らしになってしまった…。

 

ずっとそうならないように努力してきた。

 

バカにして踏みつけ、蔑ろにして、これ以上ない侮辱を繰り返ししてきた奴等を見返したかった。

 

でも現実は非情で全員私よりも幸せな人生を生きている。

 

いやいやとなりの芝は青いって言うし~と思うかもしれないが、健康体というものさえあれば人生何とでもなるし、それだけでも十分勝ち組だ。

 

健康は宝だ。

 

私は自分が心身ともに健康だ!と思えた時期はたった3年しかない。

 

19歳で摂食障害自律神経失調症を患い20代の全てを失った。

これもずっと姉と母にデブと言われ続けた弊害だ。

 

30歳で何とか自分を取り戻し、自分のやりたいことを始められ、支えてくれるパートナーも現れて大好きな愛犬と幸せな毎日を過ごし、ようやく過去と決別出来て自分の人生を歩み始めたのに、新型コロナが全てを奪っていった。

 

自分が幸せになることが一番の復讐だとかよく言うが、あれは因果応報など結局存在しないから自分が幸せになって過去と決別するしかないからだと思う。

 

頭の悪いヤツならどこかで自滅するかもしれないが、うちの家族のように無駄に立ち回りが上手いタイプが転けることはほとんどない。

 

相手を呪う事に全力をかけても、何も反省せずに他者を犠牲にしても何とも思わないテイカーやエナジーバンパイアやサイコパスタイプのヤツにはまるで効果がない。

 

真の意味で心から信頼出来る人が出来ないからそういう人は可哀想などと言うが、じゃあそうでない人がそういう人で出会えるかというとまた別問題。

 

なるべく清く正しくを目指して生きている人間ほど搾取され、ろくな人生を歩めていない人が多い。

 

産まれてきて良かったなんて思える日はもう一生来ないと思うと、なんのために毎日この痛みに耐えなければいけないのかわからなくなる。

 

早く日本も安楽死が認められれば良いのに。

オンライン診察の限界

ちゃんと薬を処方してくれる病院もなく、ひたすらしんどい思いに耐える日々。

回らない頭で病院を探すのは本当にしんどかった。

 

アレルギーと診断されて病院をほっぽりだされて1ヶ月後にようやく有名なHクリニックに辿り着いた。

 

この時は本当にコロナ後遺症を信じてくれる病院がなく、Hクリニック以外に選択肢はなかった。

Hクリニックの回線はいつもパンクしそうなほど混雑しており、先生からの診察の電話も深夜になってしまうこともざらだった。

そして私は昔から体調が悪そうなのが表にほとんど出ない人間で、ハキハキ喋るタイプなのもあってあまり深刻に見られないことが多い。

目に見えて私の方が悪いのに、彼の方が体力回復系の漢方薬を処方してもらえたが、私は何故かここでも眠りやすいように精神を落ち着かせる系の漢方しか処方されなかった。

 

先生も忙しいので、ものの30秒ほどで切られてしまうし、どうしたら短時間で先生に辛さを伝えられるかわからないまま時は過ぎて行った。

 

年が明け、彼が資格取得するために通っていた研修先ともめる事件が発生。

半年間の現場実習を経験して、半年間働きましたという証明さえあればそのまま資格取得できるのだが、良いようにこき使えた人材がいなくなるのが惜しいのか、まだ資格が取れるほどではないと難癖をつけて証明書にサインしないと言い始めた。

もうすでに座学など必要な試験には合格しており、残りは実務経験だけで良いのに何故か研修先の奴が自分を試験管だと勘違いし始めたのだ。

 

貴方が判断することじゃないですということを一生懸命伝えたが、罵倒されるわ怒鳴られるわでかなり精神的に消耗した。

 

そんな事が起こった次の日。

朝起きると、体が全く動かなかった。

まるで交通事故にあったような全身打撲のような痛みが走り、呼吸も浅くしかすることが出来ず、指を動かすにも酷い痛みが走った。

起きて一時間くらいたってようやくベッドから這い出て、彼に支えて貰いながらトイレに行った。

ゆっくり歩いても足の裏は画鋲を踏んでいるかのような痛みが走り、一歩踏み出すたびに悲鳴が漏れた。

 

座っていても身体中がチクチクチクチクと針が刺さっているかのように痛み、服も素材を選ばないと火傷した肌のうえを撫でられているような感覚がした。

あまりの痛みに突然失神してしまうことも増えた。

 

これが私が初めて経験した“クラッシュ”という症状だ。

それにプラスして線維筋痛症も発症してしまった。

 

さすがにクラッシュしたので漢方も落ち着かせる系から体力回復系に切り替えられた。

初めて体力回復系の漢方の十全大補湯を飲んだ時、こんなにも体が楽になるのかと驚いた。

床を這っていたのに、少しなら立ち上がれることが出来るようになった。

もう少し早くこの漢方に出会っていたら、ここまで酷くならなかったのでは?と思ったが、運がない私はこうなる運命だったのだろう。

 

Hクリニックの先生を責める気もないし、どう考えてもあんな数の患者を抱えてちゃんと対応するのは不可能だと思う。

何が言いたいかというと、有名だから名医に違いないと思うのは間違いで、今は後遺症外来もたくさん出来たので、出来る限り対面で診察してもらうことが重要だと思う。

オンラインでは小さな変化も気付いて貰えないし、私のようにあまり悲壮感が表に出にくい人はどうしても理解され辛い。

 

コロナ後遺症は早めに自分に合った漢方を処方されていれば、ほとんどの人は半年ほどで治るそうです。

私は病院難民になり、オンライン診療の“穴”に入ってしまい、取り返しがつかなくなった。

コロナ後遺症は怖いんだということは知っている人は多いと思うけど、コロナ後遺症かな?と思ったら早めに最寄りの後遺症外来or漢方医に相談して自分に合った漢方を見つける!という認識の人はあまり多くはないと思うので、私のブログを通して知っていってもらえたらと思います。

 

セカンド・オピニオンは本当に大事です。

 

何度も言いますがHクリニックを批判するつもりはありません。

むしろ多くの人の拠り所となっていることは事実です。

ただ私のような例もあるので盲信するのは危険です。

新型コロナに感染した日

2020年11月5日。

朝起きるととてつもない喉の痛みだったが、熱は37度と微熱程度。

私は職業柄とても声が重要なので、少しでも喉に違和感を感じたら即病院へ行っていた。

当時は新型コロナのことを一部では“武漢肺炎”と呼ぶ人もいた。

だからか肺のCTを撮って異常が見られなければコロナではないだろうと医者も判断した。

 

なのでカロナールなどの鎮痛剤をもらってひたすら休んでいるしかなかった。

だがいつまでたっても焼けるような喉の痛みは引かず、微熱も相変わらずで、さらに関節痛や息切れなどの症状も出てきた。

 

え?コロナ?と一瞬思ったが、どこでもらったか全く心当たりがなかった。

仕事の接客もマスクとアクリルボード越しだったし、人がいる場所では絶対マスクを外さなかったし、手荒い・うがいも徹底していた。

 

病院に行ってから二週間経ったのに全く症状が治まらないので、いよいよこれは普通の風邪ではないのでは?と思い始めた。

 

ただの風邪であれば薬を飲んでじっとしていれば一週間もあれば症状はだんだんと軽くなっていく。

インフルエンザだってそうだ。

 

なのに全く症状が治まるどころか、どんどん酷くなって行っている気がした。

 

当時はまだ嗅覚や味覚異常はそれほど言われておらず、全く味や臭いがしなくても体調の悪さのせいかな?くらいに思っていた。

 

二週間経って、同居していた元婚約者が私と全く同じ症状になった。

彼は仕事の関係でPCR検査を受けて陽性だった。

 

え?それなら私もやっぱりコロナなんじゃ?と思ったのだが、保健所からPCR検査を受けるように言われたのはそこからさらに二週間後。

 

同居人が陽性になって、すぐに検査をしても二週間ほどの潜伏期間があるため

早いと正しい結果が出ないからと言われたが、私はとっくに症状は出ている。

健康な状態の人ならその理論で良いのだろうが、私の場合だと当てはまらないのでは?と聞くと、規則なのでと言われた。

 

元婚約者が陽性になって毎日保健所の人から体調確認の連絡が来た。

 

相変わらず体調が悪い日々が続き、喉も焼けるように痛いので毎日の体調確認の電話は少し苦痛だった。

二週間経って、PCR検査を受けると私は“陰性”だった。

陰性だったし、もう自宅療養期間は過ぎているのでどこの病院へ行っても大丈夫なんで!と保健所にはあっけなく切り捨てられ、最寄りの病院へ向かうがもちろん超嫌がられるw

 

そしてこの“陰性”のせいで私は苦労をする事になる。

 

陰性だったため、私のこの継続している症状は“気のせい”or“メンタル的なもの”と結果的に診断された。

だが赤く腫れた喉はなんなのか?

声帯炎も起こしている。

 

たぶんアレルギー?とかアバウトな事を言われて、アレルギー薬を二週間分渡されて帰された。もちろん微熱も継続中だったがこれはコロナに感染したかも?とビビって出てる熱らしい…。

 

もちろんアレルギー薬を飲んでも喉の痛みは全く引かない。

一応二週間飲んでみたが、まだコロナにビビってるらしく相変わらず熱も下がらず、さらに関節痛まで出てきた。

 

毎日ろくに水分も食事もとれず、どんどん体が弱って行く。

始めは私も頑張って気のせいだと思い、仕事にも通い、なるべく外へ出て歩くなどしていた。

 

症状が出てから1ヶ月半経ち、うちから駅まで3分で行けるのに休憩しながらじゃないと歩けなくなってしまった。

体に力が入らなくフラフラで、掴まり立ちじゃないと立っていられなくなった。

 

私はメンタルの病気も患った事があるのでよくわかるのだが、この症状は確実にメンタルではない!と思った。

 

何故そう言いきれるのかと言うと、メンタル的な病はいつも何かに追われているような切迫したような感覚だったり、自責の念が強く、とにかく休みたい・逃げ出したいという崖っぷちのような精神状態になる。

 

確かにいつ治るんだという苛立ちはあるものの、出きる事をコツコツやれているし、仕事だって行きたくて堪らなかった。

好きなアニメだって楽しみに出来ているし、そもそも自分を責めてなんかいない。

この症状が消えたら何から始めようかと人生に楽しみがいっぱいだったし、絶望なんて全くしていなかった。

コロナだってかかっちゃったもんは仕方ないかーくらいのテンションだったので、ビビってるって言われても正直ピンと来ない。

 

何をどういう理由でメンタルと医者は言うのか本当に意味不明だった。

 

百歩譲ってメンタルと診断される事で、この“一生インフルエンザ”みたいな症状が軽減されるならそれでも構わない。

でも医者はメンタルですねと言うだけで、薬は何もくれずに追い出すだけ。

 

それって意味ある?

 

私には夢もあるし、こんな何ヵ月も休んでいられるか!と思い、いろいろ病院を調べたがどこで診てもらえば良いのか全くわからない。

 

彼も坐骨神経痛などいろんな症状が後からどんどん出てきて、私ほどではなかったが明らかに体力が落ちていった。

 

お互い働く事が出来ず、どんどんどんどんお金が減っていった。

 

そしてようやく出会えたのが、コロナ後遺症外来で有名なHクリニック。

 

当時はコロナ後遺症に半信半疑で、ほとんどの後遺症患者はここのクリニックに頼るしかなかったと思う。

 

※続く

体調が悪い日が続く…

楽しみにしていたペインクリニックが2回ともろくに効果が出ず…

痛みに毎日のたうちまわって過ごしているうちにまた季節が過ぎて行った。

 

あっという間に秋でまた寒さが体をキリキリと痛め付ける。

ペインクリニックまでまだ遠い…。

先週の火曜に打ったブロック注射が久しぶりに効いてくれて

ようやく眠れるようになったが、相変わらず体力が無いのですぐに起きてしまう。

毎日がすごく長いのに、日にちは凄まじい早さで進んでいく。

 

なんのために生きればいいのだろう?

 

今日久しぶりに“師匠”の姿を見ることが出来たのだが

私が喉から手が出るほど望んでいたポジションには別の人が立っていた。

 

もう嫉妬すら起きなかった。

 

だって私は羨んでももうそんな場所へ行くことは出来ない。

 

初めの一年目は絶対治してまた夢を追うんだ!と意気込んでいたが、年々症状は重くなり痛みは強くなって体力もなくなっていった。

 

夢も諦めた。

 

大好きな仕事も辞めた。

 

結婚も辞めた。

 

最愛の愛犬も自分では世話が出来ないため、元婚約者に譲った。

 

惰性で過ぎて行く毎日。

 

体の痛みが強くなるたび、まるで“早く死んじゃえ”とせっつかれているような気分になる。

 

365日インフルエンザにかかっているような症状だと言えば辛さがわかるだろうか?

高熱が出たときのような倦怠感と酷い関節痛。

それに身体中にガラス片が刺さったような鋭い痛み。

 

医者が引くようなレベルで鎮痛剤を飲んでいるおかげで線維筋痛症はかなり抑えられているが、それでも酷い日は寝返りで飛び起きるレベル。

髪の毛が顔をかすめただけで、切られたような痛みが走る。

敏感に痛みに変換して少しかすっただけでも反応するかと思えば、火傷してても気付かなかったり、パン切り包丁でギリギリ自分の指を切ってても気付かなかったりと痛みに鈍くなっている時もある。

 

医者の話だと他が痛すぎると、軽い痛みは感じなくなるためらしい…。

 

来月で新型コロナに感染して丸三年。

 

もう夢の中でも健康だった時代の自分の姿が思い出せない。

 

あまりにも夢から遠い場所まで来てしまった。

 

どんな辛い人生でも夢があったし、隣に愛する犬がいたから生きてこられた。

 

どうして全て奪われるのか。

 

本当に私は運がない。

 

神様も私に変な期待を持たせないようにあえて辛い人生にしてるのかな?

 

どんなに頑張って頑張ってがむしゃらに生きても、いつも早く諦めろと言われているかのような不運が起こる。

 

誰も助けてくれない事を知っているから自分で頑張って来たのに

どうして邪魔ばかりされるのか。

 

ほんのちょっとの幸せを感じることも許されない人生を前向きに生きるなんて

気が狂わない限り無理だね。

前向きになれなくなってきたので

完全に吐き出し用ブログです。・(つд`。)・。

 

Twitterでやろうか迷ったけど文字制限が面倒なのと

今の感情を書ききれないと思ってブログを選びました❗

 

匿名だからこそ書けることってあるしね。

 

前向きな人間なイメージついてるから、周りの人ビックリさせたくないし、

FacebookTwitterでポロっと言っちゃってお客さんに見られても良くないしで

ここに辿り着きました。

 

身体中が痛くてどれだけ続けて行けるかわからないけど

私が生きているという証拠を残して行きたい。

 

今の私の人生で一番の楽しみはペインクリニックで神経ブロック注射と

痛み止めの点滴を打つこと。

 

2週間に一度の究極の癒しタイム。

 

まるでペインクリニックに通うために生きてる。

 

でもこれって生きてるって言えるの?

 

生きるってなんだろう?

 

ただ呼吸が出来るだけで幸せだと感じられるほど人間出来てないし

何より障害者年金だけで暮らして行けない。

 

ゆるやかに自殺へと向かう人生を歩み始めている。

 

病気は治らない。

 

金もない。

 

生活保護貰ってまで生きたいと思えるモチベーションもない。

 

私を必要とする人もいないw

 

神社仏閣が好きで信心深いタイプだけど、どうやら私の片想いのようだ🤣

 

産まなきゃ良かったと散々親に言われてきたけど

本当に私は産まれて来るべきではなかったんだろうな

 

同情してあげられるのは自分自身以外いないから

いっぱい辛かったねって自分をヨシヨシしてあげるためにも

このブログという場所が私には必要だと思った。