気がついたら年が明けていた…
相変わらず病院へ通うための体力作りのみで、他に出来ることもほとんどなく、ただ生きているだけの毎日。
いったい私が何をしたというのだろうか?
物心がついた時にはもう家族仲が壊滅的に悪かった。
仲良く楽しく過ごせた思い出が少しくらいあってもいいものだが私にはそんなもの存在していない。
家の中に入るのが怖くて、外で飼っていた犬と暗くなるまでいつも遊んでいた。
5つ年上の姉は私が12月に生まれたせいで誕生日プレゼントがなくなったと言う理由で、人に迷惑をかけているのだから私の物は全て奪って当然という考え方の人間だった。
反抗すると殴り付けられるので泣いていると、うちの母は
『中途半端に殴ると泣いてうるさいから泣けなくなるまでちゃんと殴りなさい!』
と言って姉を叱った。
幼いながらに絶望したのをよく覚えている。
この時私は5歳くらいだったと思う。
私が誰かからぬいぐるみだかキーホルダーだか貰って嬉しくてずっと手でもっていたら、お前だけもらってズルい!と言って姉が取り上げたのだ。
それを姉が自分のランドセルの中に入れたのを見て、姉が見ていない隙を狙って取り戻そうとしたのだがランドセルがどうやったら開くのか解らず手間取っていた。
それを見つけた姉が烈火のごとく怒り、泥棒!と叫んでランドセルでそのまま私の頭をフルスイングで殴り付けた。
それで頭を切り、痛みで泣き叫んでいたら母がもっと殴れと姉に言ったという流れ。
改めて思い出すと本当に気が狂った家族だとしか思えないw🤣
呼吸困難になっている姿が面白いという理由で、みぞおちを蹴りあげられたり殴ったりして姉がドヤ顔で母や兄に披露していても皆笑うだけで誰も助けてくれなかった。
私が座る場所や歩く場所に画鋲を仕掛け、踏んでしまって痛がっている姿を見て姉は大喜びしていた。
うちの姉はガラスに突っ込ませるのも大好きで、足を引っ掻けてガラス戸に突っ込ませ割れたガラスの上でのたうち回る姿が姉のツボだった。
皮膚に食い込んだガラスを抜くのがとても痛かった。
泣いたらさらに殴られるので、泣かないように必死に唇を噛んで皮膚に入り込んだガラスをほじくっていた。
ガラス戸を割るとさすがに金がかかるので、姉も母に殴られていたが、姉が気が狂ったように暴れだすので、母はそれを察知すると兄を抱き上げて一目散に車で逃亡する。
もちろん残された姉は怒り狂い、疲れるまで私をサンドバックにする。
母は自分が被害に遭うのは嫌なのでいつもダッシュで逃げて、姉が疲れきった頃に帰ってくる。
母は血が嫌いだから、殴られた後は汚い!と言って私に見向きもしなかった。
見よう見まねでいつも手当てをしていたが、ちゃんと消毒出来なくて化膿してしまうこともあり、周りからも臭いと言ってよくからかわれた。
大人になって誤って怪我をした時に、一緒にいた友人が真っ青になって病院へ行こう!と言われて半ば強制的に連れて行かれたのだが、医者にこの傷は縫わないとと言われてさらに驚いた。
それくらいの傷は日常茶飯事だったので、これって縫うほどなの?!ととても驚いた。
18年もそんな狂った生活をしていた。
なんでこんな話を突然するのかと言うと、線維筋痛症の話がしたいからだ😃
線維筋痛症はなんと“過去の痛みを模倣する”。
線維筋痛症は脳が何らかの誤作動を起こしていて、痛くない健康体なはずなのに何故か痛みが発生するという厄介な病気。
そしてこの過去の痛みを模倣するという特性のせいで、私は虐待の記憶を嫌というほど思い出させられ、気が狂いそうなほどの憎悪が湧いた。
姉があんな事をしなければ今のこの症状はなかったのかもしれないと思うと、憎くて憎くてたまらなくなる。
それだけの傷を負って周りは何も言わないのかと疑問に思う人もいるだろう。
何も言わないどころか姉や母の言い分をまるっと信じ、私を侮辱しても良い対象として見ていました。
私が小学1年の時に姉は6年生だった。
姉は外面がとんでもなく良く人気者。
自分からガラスに突っ込んだ。
バカだからすぐ怪我をする。
構ってもらいたくてすぐ嘘を吐くから困っている。
という姉の話を何も疑問を持たずにみんな信じていた。
母もそれを後押ししていたのもあるが、何より田舎の同調圧力は凄い!
人気者がそう言ったならそれが真実なのだw
なんと私は小学1年で全校生徒から虐められるという物凄い経験をした🤣
全校生徒と言っても50人以下のクソ田舎。
ろくに娯楽もなく、みんな虐めをするのが唯一の楽しみのようだった。
思い出したくもないのに、線維筋痛症の“模倣”のせいでずっと過去の記憶に取り憑かれている。
ドラマや小説なら私が最後には幸せになって、姉は酷い仕打ちを受けるのだろうけど現実はそうはならない。
現在姉は自分で始めた事業が成功し、豪邸を建てて息子と犬二匹を飼い勝ち組の生活をしている。
もちろん健康体。
私は慎ましい生活だとしても犬と一緒に生きていけるなら何もいらなかった。
でもそれも健康だからこそ出来たこと。
一日中寝ているだけで、スマホで毎日元婚約者のところに置いてきた愛犬を眺め、画面を撫で回し頬擦りやキスをして自分を慰めている。
『あんたみたいな不良品産まなきゃ良かった。どうせバカで何も出来ないから将来は風俗嬢か生活保護だ!』
と口癖のように母がよく言っていたことを思い出す。
そして実際母の言う通り生活保護のような暮らしになってしまった…。
ずっとそうならないように努力してきた。
バカにして踏みつけ、蔑ろにして、これ以上ない侮辱を繰り返ししてきた奴等を見返したかった。
でも現実は非情で全員私よりも幸せな人生を生きている。
いやいやとなりの芝は青いって言うし~と思うかもしれないが、健康体というものさえあれば人生何とでもなるし、それだけでも十分勝ち組だ。
健康は宝だ。
私は自分が心身ともに健康だ!と思えた時期はたった3年しかない。
19歳で摂食障害・自律神経失調症を患い20代の全てを失った。
これもずっと姉と母にデブと言われ続けた弊害だ。
30歳で何とか自分を取り戻し、自分のやりたいことを始められ、支えてくれるパートナーも現れて大好きな愛犬と幸せな毎日を過ごし、ようやく過去と決別出来て自分の人生を歩み始めたのに、新型コロナが全てを奪っていった。
自分が幸せになることが一番の復讐だとかよく言うが、あれは因果応報など結局存在しないから自分が幸せになって過去と決別するしかないからだと思う。
頭の悪いヤツならどこかで自滅するかもしれないが、うちの家族のように無駄に立ち回りが上手いタイプが転けることはほとんどない。
相手を呪う事に全力をかけても、何も反省せずに他者を犠牲にしても何とも思わないテイカーやエナジーバンパイアやサイコパスタイプのヤツにはまるで効果がない。
真の意味で心から信頼出来る人が出来ないからそういう人は可哀想などと言うが、じゃあそうでない人がそういう人で出会えるかというとまた別問題。
なるべく清く正しくを目指して生きている人間ほど搾取され、ろくな人生を歩めていない人が多い。
産まれてきて良かったなんて思える日はもう一生来ないと思うと、なんのために毎日この痛みに耐えなければいけないのかわからなくなる。
早く日本も安楽死が認められれば良いのに。